芯の強さがにじみ出る、飾らない漆。臼杵春芳さんの漆材のお椀。
なんとも気取らない、おおらかな姿。ぽってりとしたフォルムからは親しみが感じられ、昔からよく知っているような身近さや安心感も感じられます。けれどもそれと同時に内側から芯の強さというか何か強く訴えかけてくるものがあり、とても惹きつけられました。作為的な要素がなくとても自然で「生活のうつわ」といった骨太さ、頼もしさがあるのです。
こんな漆もあるのか、とはじめて臼杵さんのお椀を見た時には驚きました。これまで漆作品に抱いていた印象とはまったく違うものでした。
手に取ってみるとスカッと手から取りこぼしそうになるほど軽い。木地に漆の木を使っているからだそうで、そのことも初めて耳にしました。裏返してみると「春」の一文字。
臼杵春芳(うすきはるよし)さんは、香川県丸亀市の漆作家さんで、山に漆の樹を植え自ら漆を掻き、木地づくりから塗りの仕上げまでひとりでこなすという稀有な存在です。こんな人がいるなんて!とわたしたちは心底驚き、どうしてもお会いしてみたくなって5月の末に香川県まで出かけて丸亀の工房を訪ねました。
漆の木を木地に使うというのは非常に稀だそうで、それは漆の木がゆがみやすく暴れる性質だからです。漆の木はとても軽くて昔は漁網のウキの材料にされていたようですが、最近は使い道がなく薪に使われることがあるくらいだとか。臼杵さんは「漆を掻いた後の掻きがらを何かに使えないかと思い、木地に使うことにした。地元の木で漆を掻き、その木をうつわの木地に使う。小さいサイクルの中での循環。時間も手間もかかるけれども無駄がない」と話していました。
自分で掻いた漆だから、その貴重さは一層身に染みて感じられるはずです。漆の木は12年物の木でもワンシーズン約150㏄しか取れません。漆掻きというのは春先から秋口まで数日間の間隔を開けながら少しずつ木に傷をつけて、その傷をなぞって液を集めるのです。一本の木から一日で集められるのは微々たる量。それを何本も何本も、点在する畑間を往き来しながら何か月もかけて木樽に採集してゆくのです。それを発酵させ、一年も経って茶色く変化してくるとやっと漆塗の材料として使えるようになります。
上の画像は漆を採取する「カキタル」とよばれる木製の容器。臼杵さんは漆掻きや漆のことについて2017年からずっとブログを書いていらして、夏の記事は「12辺目」「20辺目」などとその日の漆掻きが何度目の傷をつけた時であるのかをタイトルにして日記をつけていらっしゃるのですが、とある日の記事には「今日採れた漆は170g.17本のうるしの木で割ると1本あたり10gです。たぶん今回の最高の量だと思います。今年は雨が多くうるし掻きが難しいです。」とあり、とてつもない苦労をして漆を集めていらっしゃる様子が垣間見れます。
臼杵さんのお椀は表面が粗めで武骨な印象もありますが、それは漆液を濾さないからだと話していました。もったいないから濾さずに全部使う、と。濾してしまえばさらに何割かが減ってしまうのです。
最近刊行されて話題の土井善晴さんの「一汁一菜でよいという考えに至るまで」という本がありますが、その表紙で土井さんが手にしているお盆に載っているお椀は臼杵さんの作で、土井さんの愛用品です。
土井さんは以前雑誌で臼杵さんのお椀を紹介していました。その内容が素晴らしいのです。日本人の美意識には「洗練」と「素朴」の二つの方向があるとし、物づくりが仕事になって、産地が大きくなって分業化して、専門職となった職人は厳しく技術を極める。それが「洗練」。一方、ゆがみも汚れも自然のこと、ひとつひとつが違うのはあたりまえとして、出来栄えを自然の心にゆだねるのが「素朴」です。と書かれていました。
わたしが心を打たれたのはそれに続く一文で「どちらの美を得るのも簡単なことではありません。人間の一生の仕事です」というくだりでした。さらに「日本ではその二つが響き合い、引き立て合い、うっとりするほどの美しさを暮らしの中に生み出します」と書かれていて、本当だなあとしみじみお椀を眺めてしまいました。
洗練と素朴。そのどちらもそれぞれに美しく、決して相反するものではなく響き合って共存できる。その視点の平らさ、穏やかさが土井さんらしく、一層ファンになってしまいました。
その土井さんが「この椀は「素朴」。特別な日でなくとも、私の日常の毎日を穏やかにしてくれているお椀です。」としめくくっているのです。
家庭で食べるふだんの食事をレストランのように豪華な内容にする必要はない。具だくさんの汁ものにして季節の野菜を沢山取り込めば一汁一菜で十分なのだ、と提唱した「一汁一菜でよいという提案」を、勇気をもって世の中に送り出した料理人であるからこそ、臼杵さんのお椀の持つ素朴な美しさを拾い上げることができるのだと思います。
臼杵さんの漆材のお椀は漆材自体がいまや希少で作れたとしても年間100個程度。作るそばからなくなってしまう、と臼杵さんが話されていました。このお椀を見ると、なるほどこれほど「一汁一菜」という言葉がしっくりくるお椀もないなあと言う気がしてきます。毎日の家庭のごはんを支えてくれる力強いお椀です。
漆は仰々しくて気軽に使えない、と思って遠ざけてしまっている人にもぜひ手に取ってみて欲しい、そう願ってしまいます。
臼杵さんは京都で家具職人として木や漆にはずっと携わってきましたが、日本では漆器の材料である漆が少なくなっていること、また使われている漆のほとんどが国産ではなく外国産のものであることに疑問を持つようになりました。陶器の世界では地元の土や釉薬を使っているのに、漆は外国産に頼っている。
その行動力に驚いてしまいますが、漆について学ぼうと、漆の一大産地である岩手県二戸市浄法寺へ研修を受けに赴き、それでも足りずに平成21年に長期の研修を受けるため岩手に移りました。当時は浄法寺でさえ漆掻きという職業は衰退の一途だったそうで「漆の売れない時代に漆掻きを目指してどうするのか」と呆れられたそうです。
ところが、平成26年に文化庁が「日本の国庫補助金を用いて実施する国宝や重要文化財建造物の保存・修理は使用する漆を原則国産とする」という通達を出したことで、一気に風向きが変わったのだと教えてくださいました。急に国産漆が足りなくなったのです。そこで臼杵さんは漆の植林が必要だと考えるようになりました。
はじめは京都で山を探しましたが良い出会いがなく、故郷である香川県丸亀市の山を購入し、荒れ地を一人で少しずつ整備して漆の木を植え始めました。
現在はNPOをつくり漆の植林、後継者の指導など香川県で漆を普及させるための活動にも力を入れています。
ご自宅の横にある漆の苗に水をあげながら「この木から漆を掻けるようになるころにはわたしも80歳近くになって、もう山にも入れないかもしれない。」と笑っていたのが印象的でした。
漆はその年によってぜんぜん違うものができるのだそうです。土地によって酵母も変わるので、さらに産地によっても変わる。その面白さ、奥深さにハマってしまったのだそうです。だからまず、漆の良さを知って欲しい。そして丸亀の片隅で漆を掻いている人がいることも知って欲しい、と丸亀市の運営する施設のサイトでインタビューに答えていました。
わたしたちと話している間も、ひたすらどのシーンでも人手不足で漆を掻こうにも山の雑草刈りをしてくれる人がおらず、木地を挽いてくれる職人さんも90歳を超えて後継者がおらず、どこもかしこも人が足りていない、それが一番問題だと話されていました。
NPOを立ち上げて次世代へ漆のノウハウを伝えていくには、若者に興味を持ってもらわなければならない。そのためにはまず漆の作品が売れてくれなくては仕方がない。と臼杵さんは考えています。
若い人たちに漆の良さを知ってもらい、漆に親しんでもらいたい。そう考えて活動を続ける臼杵さん。今植えている漆は自分たちが使うためではなく、次世代に漆の文化を引き継いでゆくためなのです。
実は特別なお手入れなど必要のない漆。食洗器や電子レンジは使えませんが、普通の洗剤とスポンジで洗うことができます。漆が剥がれてきたら塗り直しが可能で、臼杵さんのお椀を持っている人は10年くらいのサイクルで塗り直しをお願いしてくることが多いそうです。ヒビが入っても修復することができ、まさに一生ものとして長く使い続けることができます。
使い込むことで艶も増し、透明感が出てくることも漆の魅力。軽くて熱を伝えにくく、毎日の汁ものに最高の素材です。臼杵さんのお椀は特に軽やかなので、その扱いやすさと使った時の安心感にきっと手放せなくなるはずです。
一汁一菜生活、このお椀のおかげでとても豊かな食卓となりそうです。
臼杵春芳さんの作品は以下のリンクよりご覧いただけます。
https://68house.stores.jp/?category_id=62d65bb94ba8b4462625953c